こんにちは、路線バス運転士のだいきです。
「家事は女性の仕事」なんて言葉は、もはや昭和の遺物。共働きが当たり前になった今、家事は夫婦で分担するのが当然という風潮が広がっています。
バス運転士として日々働く私も”家に帰れば“助手”として家事に参加しています。今回は、その中でも、とくに“緊張感”漂う「食器洗い」の一幕をご紹介します。
「おい、助手、洗い物」から始まる夜
夕食時、料理をする妻の隣に立つ私。
お鍋をかき混ぜる音の合間に、「おい、助手、洗い物」の声が飛んできます。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン…ではありませんが、その号令で私の“助手業”がスタートします。
洗い物をしながらも、妻の視線は背後からピンポイントで突き刺さってきます。
「ここ、ヌルッとしてる」
「すすぎが甘い、泡ついてるで」
…まるでプロの料理人から新人見習いへのチェックのような厳しさです(笑)。
“指導”の先にある夫婦の形
こうして日々“愛の指導”を受けながらも、私はまったく苦にはなっていません。
なぜかというと、私は母子家庭で育ち、小さい頃から家事を手伝っていたこと。そして独身時代も長かったため、料理や洗濯、掃除は一通りこなしてきた自信があります。
でも、結婚して思ったのは「自己流は通用しない」ということ。妻の“基準”に沿って仕上げないと、合格ラインはもらえません。
たとえばエアコン掃除も、「そこ、フィルター外しただけで満足したらあかん」と、内部まで徹底チェックが入ります。
義父との会話で知った“夫としての評価”
ある日、この“鬼嫁チェック”の話を妻の父にしたところ、笑いながらこう言ってくれました。
「わしには考えられへん。ようやっとるわ、お前はえらい」
正直、ホッとした気持ちと同時に、「ちゃんと見てくれてる人はおるんやな」と感じました。
家族として、夫として、できることをする。
それが自然にできるようになったのも、毎日の“鬼嫁指導”あってのことかもしれません。
結論:厳しい指導は信頼の裏返し
人は経験して初めて、他人の大変さに気づき、感謝の気持ちを持てるものです。
私はこれからも“助手”として、妻の隣で洗い物をこなしながら、心のなかで「今日も洗えてなかったか〜」とつぶやく日々を続けていきます(笑)。
たとえ厳しくても、それは“信頼”の裏返し。そう思えば、家事分担も悪くないものです。